2007年01月06日

佐木隆三「復讐するは我にあり」

復讐するは我にあり 上 (1)


復讐するは我にあり 下 (2)    講談社文庫 さ 7-2



文章を書くのは好きだが、タイトルをつけるのがどうも苦手だ。
これは文章を書く場合、かなり致命的だと年々思う。
仕事をしていたときから、この自分の弱点には気づいていたが、
いろんな作家の本を読むとその巧みさに舌を巻く。
このタイトルはその最たるものではないだろうか。

「復讐するは我にあり」

いかにも読みたくなる。
何?どういう意味?
とも思うし、このタイトルの持つ、なんとなくハードで暗くて鋭い感じに引き込まれる。

国語便覧好きの私としては、直木賞受賞作タイトルの中でもこの作品は特に気になる作品だった。
一覧の中で特に目を引いた。
そんなこんなで10年以上たって、ようやく読むことになったわけ。

事件は北九州市で起きる。私の故郷であり、佐木隆三さんが今住んでいる場所でもある。
それは知っていたので、親近感は最初からあったのだが、とにかく方言が今ではもう使われていないほどキツく、そのことが人物にリアリティと躍動感を持たしている。
方言を始め、地域性の色濃く出ている描写は、サスペンスの場合それだけで「怖く、そして悲しい」と感じる時がある。
横溝正史や坂東眞砂子を読むと感じる時がある。
まさにそれ。

その下敷きの上に踊る主人公。
追う警官が人々から話を聞き、主人公のさまざまな面が浮き彫りにされていくが、何より彼自身の大胆不敵な行動が最もその性格を描き出していく。
そしてこの犯人の行動、あまりに大胆すぎて、次第にどこかおかしく思えてくる。
犯人に対する嫌悪と興味。
ないまぜになった感情のまま一気に読ませていく。

いろんなところで書いたが、佐木さんとは料理屋さんで遭遇した事がある。
お酒を飲んで真っ赤になって、本人とは一目で分からないぐらい陽気なオジサンだった。
あの赤ら顔とは結びつかないが、非常に鋭い小説であると同時に、土臭く、悲しく・・・私が東野圭吾作品を読んで感じる感覚に似ているかもしれないと思った。

「復讐するは我にあり」とは聖書の中の一説。
巧みな引用に、ただただ感心。

posted by 参 at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐木隆三 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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